神のやり方に従う
私は不思議なことに自動二輪が乗れるが、もちろん免許がないので乗らないのであるが、愛する妻とツーリングでも行くかと思い(妻は何故か足が届かないのに免許を持っている)教習所に通い出した。昔と違いみんな優しい教官たち。ん?!俺が歳をとったからか?
「ここはTHE教習所です♫」と、優しい教官から「やんちゃな癖を直しましょう」と言われることが多い。
教習所から悟らされることが多い。
ちゃんと言うことを聞き、練習することで自己流よりも正確な運転ができるはずだ。
神と私の関係そのものだ。
ダビデも間違いを犯して、最初は神のやり方ではない方法で、荷台に神の箱を乗せたことで部下のウザを死に追いやってしまった。
二度目はちゃんと神輿のようにレビ人の肩に乗せて運び出すことに成功した。
昨夜も相談者が現れ、罪友に変えたいと言ってきた人がいた。人間関係よりは行き詰まりだった。そんな彼に私は
「ここにきたのは導かれて愛されているあなたの教会から離れてはいけないことを、私を通して神から学ぶためですよ!」と、言って祈り、帰ってもらった。
自分の方法で教会を変えること、神ではなく自分のペースでミニストリーを進めることもおすすめできない。(情熱でスタートしたが偉そうなことは言えないけど学ぶことはやめずにいる。当たり前だけど)
[サムエル記 第二 6:3,4,5,6,7]
彼らは、神の箱を新しい荷車に載せて、それを丘の上にあるアビナダブの家から移した。アビナダブの子、ウザとアフヨがその新しい荷車を御した。
それを、丘の上にあるアビナダブの家から神の箱とともに移したとき、アフヨは箱の前を歩いていた。
ダビデとイスラエルの全家は、竪琴、琴、タンバリン、カスタネット、シンバルを鳴らし、主の前で、すべての杉の木の枝をもって、喜び踊った。
彼らがナコンの打ち場まで来たとき、ウザは神の箱に手を伸ばして、それをつかんだ。牛がよろめいたからである。
すると、主の怒りがウザに向かって燃え上がり、神はその過ちのために、彼をその場で打たれた。彼はそこで、神の箱の傍らで死んだ。
祈り
コロナ禍にありコロナ慣れすることなく、日本全体が終息に向けて歩めますように。礼拝者としてこの群れが存在し続けますように。アーメン